浦辺鎮太郎(1909–91年)は、岡山県児島郡粒江村(現・倉敷市粒江)に生まれ、旧制第六高等学校を経て1930年に京都帝国大学工学部建築学科に入学し、1934年の卒業後は、倉敷絹織(現・クラレ)に入社します。そこでは大原總一郎(1909–68年)との運命的な出会いがありました。浦辺は、大原とともに、倉敷を、歴史を大切に守り育てる都市にするべく営繕技師として働き始め、30年に及ぶ地道な活動を経て、1964年に倉敷建築事務所を開設して独立します。
 浦辺の仕事が特筆されるのは、大原美術館分館(1961年)や倉敷国際ホテル(1963年)に象徴されるように、倉敷の伝統的な町並みと調和する近代建築の在り方を追求するなかから、クラフト(手仕事)とインダストリー(工業化)を融合させ、日本の近代建築の新しい境地を切り拓いた点にあります。続く倉敷アイビースクエア(1974年)では、赤煉瓦造の紡績工場を宿泊施設へ転用する先駆的試みを成し遂げ、歴史との対話の大切さを日本の建築界に再認識させました。さらに、倉敷市民会館(1972年)や倉敷中央病院(1975–81年)、倉敷市庁舎(1980年)では、装飾や屋根、素材の色や質感などを統合して、華やかさと豊饒さを併せもつ建築をつくり上げます。そして、その仕事は横浜市の都市デザイン室長で都市プランナーの田村明(1926–2010年)との出会いによって横浜へと展開し、大佛次郎記念館(1978年)や横浜開港資料館(1981年)、神奈川近代文学館(1984年)を通して、同時代のポスト・モダニズムとは一線を画した独自の建築世界を切り拓いていったのです。
 生誕110 年を記念し、没後初となる本展では、営繕技師の時代から晩年に至るまでの全軌跡を紹介します。地域に根ざし、伝統や風土と対話しながら近代建築のあり方を問い続けた浦辺の仕事が、これからの建築やまちづくりへ大きな手がかりを与えてくれるものとなるでしょう。


建築家 浦辺鎮太郎の仕事・横浜展 都市デザインへの挑戦

[期間] 2020年11月14日(土)~12月13日(日)
[時間] 10:30-18:30(入場は閉場の30分前まで)
[会場] 横浜赤レンガ倉庫1号館 2FスペースABC
[料金] 大人1,000円、大学生500円、高校生以下 無料

[お問合せ]
浦辺鎮太郎建築展実行委員会事務局
MAIL:info@urabesekkei.jp
TEL:06-6220-0102
WEB:公式サイト