横浜赤レンガ倉庫1号館 振付家の康本雅子さんの企画による『作り手同士のシェアワークショップ』。コアメンバーに選ばれたジャンルの異なるアーティストが、今の創作方法やアイデアをワークショップ形式でシェアします。
▶『作り手同士のシェアワークショップ』について

 今回は、2026年8月5日(水)に実施した映像作家 山下つぼみさんのワークショップの当日の様子をレポートでお届けします。


レポート:三橋俊平

 8月5日、「作り手同士のシェアワークショップ」のファシリテーターは、映像作家の山下つぼみさん。山下さんからは、ワークショップにあたり次のメッセージが寄せられました。

“映像作品を創る上で大切なのは、機材などの技術だけでなく、お互いを知り、他者の違いや考え方を楽しむことです。他者を演出し、演出されるなかで、相手、そして自分自身の魅力を発見するワークショップ。”

参加者はシェアワークショップのメンバーを含む10名。5組のペアに分かれ、初めに全体で肩書きと名前のみを伝える自己紹介から始まりました。ワークショップの冒頭に自己紹介の時間が取られることはよくありますが、あえて肩書きと名前「だけ」と絞っていたのが印象的です。

続いて山下さんから、映像・映画に対する考えが共有されました。山下さんにとって映像とは映画であり、大きいスクリーンでみんなで一緒に見るものとのこと。映画も物語のバリエーションを観るものに感じてきてしまっていることから実験映画への関心が深まっていることも語られました。「今日のワークショップで話すことは、あくまで私の独り言です」と前置きされたことも印象に残ります。

その後、実験映画『Takashi Ito – Thunder』を鑑賞。

実験映画には決まった物語がないこと、映画にとって物語はあくまで観るためのモチベーションであり、映像の面白さを自身の感覚で見出す部分が面白く、作者の表現したいことと表現されているものが一致している嘘のない面白さ、言葉ではなくストレートにいく感覚的なコミュニケーションに山下さんは興味があるとのこと。

アイスブレイクでは言葉を使わずに誕生日順に並ぶワークや、ペアごとに新聞紙をできるだけ高く積み上げるワークが行われました。その後、参加者は演技的なやり取りを試みるワークに。あらかじめ台詞や動作といった演出的なものを与えるものではなく、特定の状況に置かれたときにどのような反応が生まれるかを探るものでした。

条件の少ない状況では起こる出来事も限定されますが、具体的な状況(例えば、推していたミュージシャンと久しぶりに再会する、など)を加えていくことで、演じ手から自発的な行動や反応が引き出されていきます。それは単に「演じる」ことではなく、与えられた条件に応じて内側から立ち上がる反応であり、嘘のない表現につながるものとして捉えられていました。

こうした表現を生み出すには、演じる側と監督が互いに質問を重ね、対話できる場をつくることが重要とのことで、山下さん自身も、撮影現場で出演者との感覚がかみ合わず、1〜2 時間かけて話し合った経験があるそうです。

言葉を省く、紙を渡すといった条件を加えながらワークを繰り返すなかで、山下さんは「観る人がどこを見て、何を判断しているか」「物語に集中しがちだが、どこで自分の感情が動いたのかに注目してほしい」と強調していました。自分が何を見ているのかを捉え直すこと、そして「私」にとって何が面白いのかを意識することの重要性が、ワーク全体を通して示されていました。

*ペアで物語をつくるワーク。山下さんが、映像として切り取る視点について話しています。

いよいよペアごとに分かれ、映像の撮影をしていきます。テーマは「他者紹介」。
それぞれがペアの相手を紹介する映像を、スマートフォンで撮影します。演劇のワークショップでも他者紹介を行うことはありますが、相手の自己紹介を聞き、それを模倣したり演じるものが多く見られます。今回のワークは、カメラを通して相手をどのように映像に収めるか、というもの。

被写体となる相手をどのように映すかには、撮影者が相手をどう見ているか、どのように見せたいかが表れます。その意味で、他者紹介であると同時に「私の目にはあなたがこのように映っている」という撮影者自身の自己紹介でもあるようで、撮影者の身体そのものは画面に映りませんが、その人の視線や存在を感じさせます。

最後に、完成した映像の上映会が行われました。会場の都合上、同じ空間で他のペアもいる中で撮影するという条件であったため、別のペアが映り込んだり、異なる映像のなかで時間軸が偶然重なったりする場面が見られました。
偶然を完全に排除するにはコストがかかり、万全に準備したとしても想定外の出来事は起こり得る。コントロールできない余地や偶然性をどのように残すかが面白い、と山下さんが仰ってました。
初回の顔合わせで康本さんも「偶然というのは偶然には来ない」と述べており、作品づくりにおいて、完成度を高めることと同時に、偶然を受け入れ、活かすための態度も重要なのかもしれません。

⼭下さんは「⾃分は何を⾒ているのか」「どこで感情が動いたのか」という⾔葉をワークショップの中で繰り返されました。映像の構図や撮影技術も⼤事ですが、それ以前に被写体に対して⾃分がなにを感じ、なにを表現したいかが、重要だということがワークショップを通して伝わってきました。舞台の特性として、観客はどこをみるかは⾃由で、作り⼿はその視線をどのように導くかを考えます。⼀⽅で映像・映画では、作り⼿が切り取った画⾯と、観客が実際に⾒る画⾯が基本的には⼀致します。⼭下さんが⼀貫して「⾃分」という視点を重視していた背景には、こうした映像表現の特性も関わっているように思えました。

また自分がどのように映像を見ているのか、何に面白さを見出しているのかを意識することは、作り手としての視点を養うだけでなく、観客として作品を受け取る解像度を高めることにもつながると感じました。物語を楽しむことも映画体験の大切な一部ですが、映像の面白さは、作り手が被写体をどのように切り取り、配置し、見せているかという点にもあります。物語から少し距離を取り、作品を構成する視線や感覚に注目すること。この視点は映像に限らず、ダンス、ポストドラマ演劇、美術作品などを鑑賞する際にも、観客の体験を広げる可能性を持っているように感じました。

今回のワークショップは、映像を撮ることを通して「見る」という行為を深めるような時間でした。ただ漫然と映像や物語を追うだけでなく、視ることで作者の意図や自身の感情が動く瞬間などさまざまな発見が生まれ、そこへ意識が向くことで作家にとっても観客にとってもより豊かな映像・映画体験を生む手掛かりになるのではないでしょうか。

photo:伊藤浩平


三橋俊平

三橋俊平/Mitsuhashi Shumpei
ダンサー。身体作家。
主宰するプロジェクト「大人少年」での創作のほか、東京を拠点に国内外さまざまな振付家の作品に参加する。近年は、俳優とダンサーによる本番のない稽古会「無題の稽古会」の運営、アートプロジェクトの制作・演出助手、一般向けワークショップのファシリテーターなど活動の幅を広げている。ダンスに限らず、ソマティックエデュケーションや演劇的な手法も横断し、その「あわい」に宿るモノ語る身体を探求している。